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特集土木遺産XV ?戦後復興を支えた土木?1戦後日本の復興と土木事業浅井良夫ASAI Yoshio成城大学経済学部/教授高度経済成長の跳躍台としての復興期高度経済成長は1955(昭和30)年に始まり、1973(昭和48)年の第1次オイルショックに終わるとされる。しかし、経済成長率だけに着目するならば、1947~1973年まで、一貫して高成長が続いており、1955年を境に、顕著な変化は見出せない(図1)。1955年を高度経済成長の起点と見るのは、この年に1人当りの実質国民総生産(GNP)が戦前水準(1934~1936年の平均値)に達し、「回復を通じての成長は終わった」(昭和31年度『経済白書』)からである。しかし1955年は、グラフの上のたんなる通過点ではなかった。この年を境に、日本経済に大変化が起き、約20年間のうちに産業の形も、国民の生活スタイルも一変した。1955年頃、都市や農村の風景や人々の生活様式は、戦前日本の姿をそのままに留めていた。農林漁業者が就業者の4割を占めるという農村社会であり、ちょっと都心を離れれば、昔ながらの田植え・稲刈りの風景が至る所に広がっていた。都会の生活も「家庭電化」以前であり、一般の家庭には電気洗濯機、掃除機、電気冷蔵庫はなかった。また、大部分の家庭には、テレビも電話もなかった。テレビの本放送開始は1953(昭和28)年2月、住宅用電話の加入率は1955年に全世帯の1%程度であった。こうした生活スタイルから現在の生活スタイルに変貌したのは、1964(昭和39)年の東京オリンピックの頃である。生活を一変させた動因は、1955年を起点とする「技術革新」の波にあった。「投資が投資を呼ぶ」と言われたように、将来の需要拡大を予想して、各(%)20.018.016.014.012.010.08.06.04.02.00.0-2.0図1経済成長率の推移企業が争って機械・設備を導入し、工場を新設した。所得増大(=大衆消費拡大)と設備投資拡大の好循環が生じ、家庭電気製品は街に溢れた。マイカー時代が到来し、1965(昭和40)年には日本初の有料高速道路である名神高速道路が開通した。それでは、変化と躍進の高度経済成長期とは対照的に、1955年までの戦後復興期は、古臭く、活気のない時代だったのかと言えば、決してそうではない。敗戦以降の約10年間は、多くの制約を抱えながらも新たな時代を模索した「雌伏の時代」であった。後から振り返って見れば、それは高度経済成長へのまさに「跳躍台」だったのだと気づく。その一例が鉄鋼近代化である。『鉄鋼合理化第1次5カ年計画』が発足したのは1951(昭和26)年である。この計画の重点は、鋼板、とりわけ薄板の圧延工程の近代化に置かれ、外国からストリップミル(連続式圧延機)が導入された。また、それまで鋼鉄だ1947 1949 1951 1953 1955 1957 1959 1961 1963 1965 1967 1969 1971 1973 1975(注)年度数字010Civil Engineering Consultant VOL.278 January 2018