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Subway with a view: Marunouchi Line (between Ikebukuro and Ochanomizu)車窓を楽しめる地下鉄「丸ノ内線(池袋~御茶ノ水)」東京都豊島区~文京区特集土木遺産XV戦後復興を支えた土木Special Features / Civil Engineering Heritage XV初代丸ノ内線の300形車両日本交通技術株式会社/環境調査計画部/交通計画課髙橋真弓(会誌編集専門委員)TAKAHASHI Mayumi■戦後初の地下鉄赤をイメージカラーとする丸ノ内線は現在、池袋から東京、新宿までU字型に進み、そのまままっすぐに荻窪まで走行し、通勤ラッシュ時には1~3分間隔で発着している。丸ノ内線は戦後初の地下鉄であり、東京では銀座線に次ぐ二番目、全国では四番目の地下鉄として、1954(昭和29)年1月に開業した。開業当初の区間は池袋~御茶ノ水間の6.4kmであった。しかし、当初の建設計画では銀座線への乗り継ぎが神田駅で可能となるように、池袋~神田間の7.7kmとされていた。なぜ当初の計画経路が池袋~御茶ノ水間に変更されたのだろうか。■建設計画に至るまで第二次世界大戦で原爆を受けた広島や長崎をはじめ、日本の120余りの都市が空襲により甚大な被害を蒙った。1923(大正12)年9月1日の関東大震災で焼野原となった首都東京は、22年後、再び焦土と化したのである。絶望的な状態の東京であったが、大震災の教訓を生かし、復興のための組織作りや計画作りは、迅速かつ的確に進めることができた。しではら政府は1945(昭和20)年、幣原内閣が発足するとすぐに戦災復興に着手するとともに、これを計画的に推進するために新しく戦災復興院を設置した。戦災復興院は戦災復興計画の策定に際し、東京の都市高速鉄道網計画についても、1915(大正4)年の内務省告示の『地下高速鉄道網計画』の改訂を行った。1946(昭和21)年12月には5路線101.6kmの計画を戦災復興院告示として決定した。そのうち緊急に整備すべき路線として、中野富士見町を基点に、新宿、四ツ谷、赤坂見附、霞ヶ関、東京、御茶ノ水、本郷三丁目、池袋の各駅を経由して向原に至る丸ノ内線(第4号線)が認定されたのである。そして帝都高速度交通営団(以下、営団)は、戦災復興院による協議事項を参考にして、この丸ノ内線014Civil Engineering Consultant VOL.278 January 2018