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Consultant278
を最初に建設すべき路線と位置付け、最初の工事区間を池袋~神田間と決めた。なお、東京都特別区の地下鉄を経営するため、1941(昭和16)年に政府と東京都が出資して発足したのが営団である。2004(平成16)年には東京地下鉄株式会社(東京メトロ)に引き継がれた。丸ノ内線のこの区間が最初の工事区間に選ばれた主な理由は、山手線における混雑緩和と都心への時間短縮にある。当時、東武東上線や西武池袋線沿線での人口増加が著しく、池袋駅での乗降客が1日50万人と戦前の1.5倍、池袋~大塚間の混雑率は300%を超えており、東京方面へのアクセス改善が求められていた。■建設に向けて新線建設の最大の課題は建設資金の調達であった。当初は1949(昭和24)年4月に米国対日援助見返り資金特別会計が公布されたため、その資金や交通債券発行と増資を財源として建設を行う予定であった。しかし、政府の経済安定本部及び連合国軍総司令部(GHQ)と折衝を行った結果、見返り資金の融資は取り上げてもらえなかった。その理由は、営団において新線建設計画の詳細な設計が整わなかったことと、政府及びGHQでは、石炭や電力などの基礎産業の育成、海運や合成繊維など国際収支の改善に資する事業及び重化学工業により重点を置いていたことによる。戦後の日本は民主化を進めるGHQの指導のもとにあった。営団は政府の支配をかなり受けていたため、GHQから「戦争遂行を目的として設立された組織ではないか」と指摘されていた。しかし、GHQには「戦争目的とは関係なく、東京都区部及び周辺の交通調整を目的として発足した法人である」と懸命に説明して存続が認められた。廃止を免れた営団は引き続き融資の説得を行い、1949(昭和24)年末、ようやく見返り資金獲得の見通しを得た。そして、丸ノ内線池袋~新宿間のうち第1期工事として池袋~神田間の建設を行うことを決定し、同年12月12図1丸ノ内線(第4号線)開通区間図2池袋?御茶ノ水間の線路平面図と縦断図Civil Engineering Consultant VOL.278 January 2018015