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Consultant278
写真5南側橋台とアーチ基部写真6新西海橋写真7西海橋と新西海橋をつなぐウォークデッキ料金を決定した。バス500円、普通貨物車300円、普通乗用車200円、軽自動車100円、自転車10円、大人10円、子供5円とし、営業開始は1955年12月1日、償還期限は15年とされた。開通初日の交通量は予測していた1日350台に近く、15年間でほぼ償還でき、1970(昭和45)年2月28日23時に通行料が無料となった。翌日は日曜日であったこともあり、交通量は倍増した。橋を利用するバス運賃も5~20円値下げされ、この頃が観光橋としての人気が最も高まった時期だ。その後、周辺の道路整備が進み、西海橋の交通量を分散させるために2005(平成17)年、西海橋の西側に並行して鋼中路アーチ橋の新西海橋が開通した。新西海橋は西海橋と同様のアーチ橋とし、周囲の景観を損ねないよう、実際に塗装した鋼材をクレーンで現地に吊り下げて比較した上で、長崎県景観検討委員会が審議し、塗装色を決定した。新西海橋は有料道路「西海パールライン」の一部であり、たもとの西海橋公園で車を停め、新西海橋の橋面下に設けられた歩行者デッキを歩くことができる。並行する西海橋や、デッキ床面に設置された「眺望ガラス」から渦潮を眺めることもできる。また、南岸側には西海橋と新西海橋間のウォークデッキ等があり、隣接する公園も含めて西海橋周辺を回遊できる。世代の異なる鋼アーチ橋を眺められるほか、アスレチック広場、ソフトボール場、展望台等が整備され、新たなレジャースポットとして、家族連れ等で賑わいをみせている。■西海橋を見上げて日本の長大橋建設の礎となった西海橋であるが、下から見上げると、ひとつひとつの部材は大変細く、アーチリブには楕円形の穴があいているため、非常に繊細な印象を受ける。等間隔で並ぶリベットからは、当時の技術者達の緻密で丁寧な仕事が伺える。戦後は鋼材が貴重であったことや、地域の輸送条件による軽量化のため、必要最低限の鋼材で構成されているからだろう。写真8伊ノ浦瀬戸と西海橋戦後復興の間もない時期に、これだけの長大橋を架橋したことは長崎県にとっても日本にとっても大きなインパクトがあった。若手技術者達が設計のすべてを担い、これまでに例のない工法にチャレンジし、成功したことは、新たな時代の始まりを予感させるものとなったのではないだろうか。<参考資料>1)『西海町史概括編』西海町教育委員会西海町文化財調査委員会1973年西海町2)『夢のかけ橋西海橋』朝倉猪作「西彼史談第1号」1990年西海史談会3)『西海橋架橋に生涯をかけた男大串盛多翁』朝倉猪作「大村史談第32号」1988年大村史談会4)『九州遺産昭和中期、日本の長大橋建設のモデルとなった「西海橋」』加藤哲也「財界九州51(6)」2010年財界九州社5)『景観デザイン規範事例集(道路・橋梁・街路・公園編)』松江正彦小栗ひとみ福井恒明上島顕司2008年国土交通省国土技術政策総合研究所6)『西海橋(伊ノ浦橋)工事概要(その一)』村上永一「土木学会誌」1956年土木学会7)『CFT部材を使用した架設技術報告-新西海橋の施工-』「日本橋梁建設協会平成18年度技術発表会資料」技術委員会架設小委員会8)『高速道路50年の歩み』東日本高速道路株式会社中日本高速道路株式会社西日本高速道路株式会社公益財団法人高速道路調査会2015年9)『架橋から半世紀支間200mを超える最初の渡海橋西海橋』吉田巌「JSSCNo.57」2005年社団法人日本鋼構造協会<取材協力・資料提供>1)長崎県土木部道路建設課/道路維持課<図・写真提供>図1作製:株式会社大應図2、写真2、3、4長崎県土木部P18上、写真1塚本敏行写真5山口佳織写真6、7有賀圭司写真8谷口史記Civil Engineering Consultant VOL.278 January 2018021