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万m 3と推定され、このうち足尾荒廃山地の土砂が約290万m 3にも及んだとされた。台風は関東地方全体で死者1,100人、家屋の浸水30万3千戸、堤防の決壊や破壊24カ所という未曾有の被害をもたらした。その後も1948(昭和23)年のアイオン台風や翌年のキティ台風でも大きな被害が発生した。度重なる台風被害により、渡良瀬川流域に土砂災害防止のための対策が積極的に進められた。それに伴い、渡良瀬川上流域の足尾砂防堰堤の必要性が再認識されるようになったのである。■足尾砂防堰堤の建設1950(昭和25)年1月、足尾地区の治山や治水の基本対策樹立のための予算要求がされ、対日援助見返資金により、ついに足尾砂防堰堤の工事費として2億5千5百万円(現在の金額で約36.5億円)が計上された。同年渡良瀬川砂防工事事務所が開設され、日光砂防事務所の所管であった足尾出張所を統合し、渡良瀬川砂防工事事務所足尾出張所が発足した。堰堤設置位置の川幅は80m、河床は基底岩盤まで最深26mの砂礫層で両岸の岩盤は露出していたが、亀裂が多く風化の甚だしい粘板岩であった。工事を請負った株式会社大林組は骨材プラントの機械化、ケーブルクレーンの使用、バッチャープラントの設置等による建設技術の蓄積と改善に向けた施工を行った。1950年8月から第1次工事が行われ、1955年1月に東洋一の規模の重力式コンクリートダムとなる足尾砂防堰堤が完成した。1955~1967(昭和30~42)年度の第2次工事では床固工や垂直壁関連施設、1976~1985(昭和51~60)年度の第3次工事では砂防堰堤嵩上げ工事等が行われた。これらの効果は絶大で、1937~1950(昭和12~25)年に堰堤の下流では、流出土砂により河床が4~5m上昇していたが、堰堤建設後は1958(昭和33)年までに160万m 3の土砂が堰堤に堆積する一方、堰堤の直図1足尾砂防堰堤平面図(橙色が1次工事、緑色が2次工事)図2足尾砂防堰堤正面図下では元河床に比べ10m強の低下が見られた。いかにこの地域の土砂流出が多かったかを物語っている。■砂防堰堤の機能足尾砂防堰堤は、いわゆる一般のダムとは異なり、水を貯めて利用するのではなく、土石流などによる土砂災害防止を目的として設置するもので、『河川法』ではなく『砂防法』が適用される。そのため一般のダムとの違いを明確にするために、「砂防ダム」とは呼ばずに「砂防堰堤」と呼ばれるようになった。砂防堰堤には上流から流出してきた土砂を受けとめ028Civil Engineering Consultant VOL.278 January 2018