ブックタイトルConsultant278
- ページ
- 32/68
このページは Consultant278 の電子ブックに掲載されている32ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは Consultant278 の電子ブックに掲載されている32ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
Consultant278
Major urban reconstruction: Nagoya大都市の復興「名古屋」愛知県名古屋市特集土木遺産XV戦後復興を支えた土木Special Features / Civil Engineering Heritage XV八千代エンジニヤリング株式会社/経営企画本部/経営企画部箕輪知佳(会誌編集専門委員)MINOWA Chika久屋大通■他に類を見ない速さ第2次世界大戦時の名古屋市は、一大軍需産業都市として全国航空機生産の4割を占めていた。そのため東京と同様に他に例を見ない徹底した空襲を受け、それは終戦まで計38回を数え、来襲した延べ機数は1,973機にも及んだ。これらの空襲により、名古屋城をはじめとした中心部の建物のほとんどが壊滅、当時の市域の1/4となる約3,860haが灰となった。被災した市民は52万人、被災戸数は13万戸と惨憺たる状況であった。名古屋市はそのような状況を乗り越え、現在では横浜市や大阪市に次ぐ全国第3位の政令指定都市となり、中京圏の政治・経済・文化・交通の中心となっている。戦後の混乱のなか、名古屋市はいち早く都市の復興計画に取り組み、復興土地区画整理事業に着手し、猛スピードで事業に取りかかったのである。なぜ名古屋市は他都市に類を見ない速さで戦災復興都市計画を進め、大都市へと発展させることができたのだろうか。■復興計画のキーパーソン名古屋市の戦災復興事業を語る上で、避けて通れなじゅろういのが田淵寿郎である。1890(明治23)年3月に広島県の回漕問屋に生まれ、第5高等学校(現熊本大学)から東京帝国大学(現東京大学)の工学部に入学し土木工写真1 1946年頃の名古屋市中心部030Civil Engineering Consultant VOL.278 January 2018