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Consultant278
■ゴジラの舞台1京浜急行の八ツ山橋ゴジラが最初に破壊した、正式名称「八ツ山跨線線路橋」。品川駅の南約200mにある1933年完成の橋長48mのワーレントラス橋。進行中の品川駅改良計画により、数年後に撤去される予定。橋南東の広場にある『東海道品川宿まちあるきマップ』には「ゴジラ上陸地点」との表記がある。2国会議事堂ゴジラは高さ65.45mの中央塔に見向きもせず、北側の参議院棟を壊して進む。1936年に建造された議事堂は、御影石で装われ「白亜の殿堂」と賞賛された。地上3階地下1階、鉄骨鉄筋コンクリート造。3銀座の和光本館の時計塔時計塔の11時の音にゴジラが怒り破壊。時計塔は建築家渡辺仁の設計で1932年に完成した2代目。ネオ・ルネッサンス様式の建物の屋上にあり、四方の文字盤は東西南北を向いている。屋上までが約30m、その上の時計塔の高さは約9m。4勝鬨橋(隅田川)ゴジラが東京湾へと戻る途中に破壊。1940年に完成し、中央が開閉する跳開橋と写真4国会議事堂正面写真6 1970年11月29日の勝鬨橋最後の跳開写真5 銀座の和光本館の時計塔して東洋一の規模を誇っていた勝鬨橋は、航行船の減少や車両交通量の増加などにより、1970年の開閉を最後に開くことは無くなった。橋長246m、橋幅22m、跳開部の両側は下路式タイドアーチ橋。5記念碑ゴジラが初上陸した品川で国鉄(現JR)の操車場を破壊。品川駅1番(山手線内回り)線ホームには、「鉄道発祥の地」「山手線0km」「Since 1885」との表記の外、恐竜のシルエットが描かれたプレートが埋められている。ゴジラをイメージしているのだろうか。一方、日比谷シャンテ前の広場にはゴジラ生誕40周年を記念して造られた高さ2.2m(台座含む)のゴジラ像があった。広場改修に伴い撤去されているが、いずれ戻って来るようだ。幾つかの記念碑的なものが造られたことは、60余年前に破壊された地域の人々も含めて、ゴジラが愛すべきキャラクターとなっている証しなのだろう。(文塚本敏行)<参考資料>1)『ゴジラ全映画DVDコレクターズBOX』VOL.1(通巻1号)2016年7月講談社2)『ゴジラ』1954年公開時パンフレット3)『国会衆議院へようこそ』一般用参観者パンフレット(平成29年5月版)4)「和光と時計塔の歴史ホームページ」(https://www.wako.co.jp/clock_tower/)5)「東京都建設局ホームページかちどき橋の資料館」(http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/jigyo/road/kanri/gaiyo/kachidoki/index.html)<写真提供>写真1、3、5塚本敏行写真2髙橋真弓写真4山上英之写真6安河内孝/土木学会附属土木図書館所蔵写真7茂木道夫写真7 品川駅1番線ホームに埋め込まれたプレートCivil Engineering Consultant VOL.278 January 2018037