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特集2日いろ本の染織技術の流れ吉岡幸雄YOSHIOKA Sachio染織史家日本人は四季の移ろいの中に色の美しさを見出し、繊細な色の世界を創出してきた。色の名前は植物などに結び付いたものが多いことから、自然の中から生み出されてきたことがよくわかる。時代時代で使われてきた色を見ながら、色の歴史について学ぶ。染織技術の始まり日本人が育んできた色彩の文化について、例えば弥生時代(紀元前3~3世紀)の中頃から今日まで、2千年ほどの間のわずかな時間の流れを考察しても、「日本の色」というものは一言や二言で語りつくせない。日本が世界のなかで先進していた国々の仲間入りをしたと思われる6~8世紀は、シルクロード文化の成熟期であった。平安時代(794~1185年)のはじめに編纂された『延喜式』に記された染色材料などの記述を解読し、かつ法隆寺や正倉院に今日までに残された染織品の数々を見ていくと、日本の染織技術は奈良時代(710~794年)に染織方法がほぼ完成し、それから約1世紀半を経た後もそのまま維持されていたことが理解でき写真1『延喜式』。律令法の施行細目を集成したもので、延喜5(905)年から編纂がはじめられた。全5 0巻の内、巻14「縫殿寮」は、当時の衣服裁縫を司る役所に関する記載であり、その中の「雑染用度」の項には30種類の色名と、それを染め出すための植物染料、その他の材料が列記されているる。それはまた、中国はもとより、世界の文明の発達した地と比較しても、遜色のないものである。王朝の貴族たちはそうした技術を背景に、美しい彩りの衣装を身に纏って、日々の生活を送っていたことになる。色の名前色の名前のつけ方にも、大きなうねりがやってきた。奈良時代から平安時代初期の、たとえば「正倉院文書」や『延喜式』のような文献から色名を見てみると、冠位の紫、青、赤、黄、白、黒といった直接的な表現や紅、刈やすつるばみすおう安、胡桃、橡、蘇芳といった染色の材料であらわしたもつきそめのが多く、桃花褐などが植物の花の色をあらわしている程度である。ところが『古今和歌集』を見ると、春には「さくら色に衣はふかくそめてきむ花のちりなむ後のかたみに」きのありとも(紀有朋)と桜の花を、秋には「竜田川紅葉乱れてながるめりわたらば錦中やたえなむ」(よみ人しらず)と紅葉が散る竜田川の情景を錦ととらえるように、四季それぞれに咲き競う植物の花の彩りや、野山の草樹の移り変わりをなぞらえる色名が多く登場してくる。かな文字が発明され、31文字の和歌が詠まれ、物語や随筆がつぎつぎと著されたことの背景となったのは、自然界の日々刻々と移ろいゆく草樹花の色彩であり、それらをどのように歌や文に表現し、さらには衣装、手紙などに取り入れていくか、ということに人々の心が注がれたからであろう。かり012Civil Engineering Consultant VOL.279 April 2018