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写真2『源氏物語』「若菜上」桜の細長。吉岡幸雄が制作した『源氏物語』「若菜上」で女三の宮が着ていた衣装。平安時代の女性は現代の着物の原形である直線裁ちの衣装を何枚もかさねて着用していた。この組み合わせにより季節感を表わした配色の妙『延喜式』に見られる染織技法を背景に平安時代の色彩を見る場合、それらがもっとも顕著にあらわれているのは、女性のかさねの衣装である。それまでは、正倉院に残された衣装や絵画などから見ると、やや曲線裁ちの入った衣服であったようだが、平安京に都が遷されてから100年ほどの間に、現在の着物の原形である直線裁ちのかたちが整えられていった。とりわけ、貴族の女性たちは美しく着飾ることに心を砕き、俗に十二単といわれる女房装束のように、何枚もの衣装を重ね着して晴れやかなものとした。数領着重ねた衣装の、襟元、袖口、裾などにあらわれる、流れるような色の調和、一領の衣の「ふき(裾、袖口などの裏地が少し見える部分)」にわずかにのぞく表たていとと裏の色の対比、上に薄く透き通るような経糸をからみらしゃろあわせるもじり織の羅・紗・絽の織物、精練(灰汁などきぎぬで煮てやわらかくすること)していない生絹の平絹などの薄絹をかさね、光の透過であらわれる微妙な色調を、季節ごとに咲き競う花の彩りや木の葉の色合いなどになぞらえて楽しんだのである。このような配色の妙が、いわゆるかさねの色目といわれるものである。装束はいうまでもなく、染め紙を用いる懐紙や料紙、室内の間仕きちょうみす切りとなる几帳や御簾などの調度品にも用いられたのである。写真3「紫根」。紫草の根の部分。紫草は白い花をつけるが、根に紫の色素を持ち、それを用いて紫に染める武士の好んだ色次の政治を担う武士にとっては戦場こそ彼らの晴れの場であり、戦いの場に着用する装束、つまり甲冑という衣装が重要だった。甲冑は刀から身を守り、矢をはじく役割をする実用的なものでありながら、戦場という晴舞台に、自らの存在を誇示するように華麗な色と文様がこらされていたのである。それは平安時代末期に編りょうじんひしょうまれた『梁塵秘抄』にある次の歌にあらわれている。むさあかねほや「武者の好む物、紺よ紅山吹濃き蘇芳、茜寄生の摺ゆみやなぐひたちこしがたなよろいかぶとわきだてこてぐ良き弓胡?馬鞍大刀腰刀鎧冑に、腋楯籠手具して」。この有名な一節は当時の風俗を解説するのによく引用されるが、「山吹濃き蘇芳」の注釈には、山吹と黒味をおびた濃い蘇芳の赤と考えられることが多いが、私は「濃き」のあとには「紫」が略されていて、濃き紫、そして蘇芳の木の芯材で染めた赤と考えている。それは、今日に残された遺品のなかに、もっとも高位とされた紫草のおどし根で染めた紫の威などがいくつもあって、質実剛健を旨としていた武将たちも、甲冑には派手で華やかな装いをこらしていたことがうかがえるからである。すり、紫を愛した秀吉豊臣秀吉が政権を担う時代に入ると、日本各地で金山銀山の採掘が盛んになり、絢爛豪華を極める支配者のもと、国全体が贅沢になったことから、紫根染や紅花染などの困難な植物染の技法も息を吹きかえした。秀吉は紫を愛した武将で、肩の部分には濃い紫地にCivil Engineering Consultant VOL.279 April 2018013