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ひわいろあさぎ桐紋を絞り、胴の部分には鶸色、浅葱、紫を用い、裾には濃い緑の矢の形をあらわした華やかな辻が花染の胴服を、戦いに必要な特別の馬を献上した礼として、南部藩の南部信直にあたえている。これにも紫草の根がふんだんに使われている。それがきっかけになったかは定かではないが、江戸時代に入って盛岡と秋田県の花輪あたりで紫草が多く採れ、南部藩では紫根染を特産物として振興するようになり、江戸まで送られるようになった。このような赤系の紫を好む武将たちの姿は、その当時南蛮船に乗ってやってきたポルトガルやスペインの人々の眼にも印象的に映ったのであろう。天正5(1577)年に来日したイエズス会のポルトガル人ジョアン・ロドリゲスは、武将好みの衣装について次のように記している。「衣類の布地の表は、それが絹であろうと木綿あるいあまは亜麻の布製であろうと、いろいろな色をした花が優美に描かれているのが普通である。もっとも絹物のなかには縞模様のものもあり、また一色のものもあり、二色のものもある。絹の衣類でも他の材料でもそれらの材料に模様を描くことにおいて、日本人は偉大な職人であって、いろいろな描き方をした花の間に金糸を縫いこむ。彼らは緋色を使うことにすぐれており、さらに赤紫色をつかうことでひときわ優れている」(『日本教会史』第16章、大航海叢書IX)。多彩な衣装を持つ謙信また、染織史上で特筆しなければならない戦国武将の一人は上杉謙信であろう。現在、山形県米沢市の上杉神社に伝えられる謙信所用とされる衣装の数の多さ、豪華さ、染織技法の多様さが多くの識者を魅了するのである。きんぎんらんどんすぬいあわせどうふくはくさいされまず「金銀襴緞子縫合胴服」は、中国より舶載た輝くような金襴や緞子などを、文字通り縫い合わせた(今風にいえばパッチワークとでもいうような)もので、その斬新な試みに感服させられた。マントはおそらくポルトガルかスペインの船が運んできたものであろう。ヨーロッパ製のビロードで、南蛮屏風に描かれた南蛮人が着ている姿そのもので、彼らから譲り受けたものかとらしゃ思われる。そして羅紗の胴服。袖は緋色、見頃は濃紺写真4 上杉謙信所用「金銀襴緞子縫合胴服」。中国から舶載された輝くような金襴や緞子などを縫い合わせたもの写真5 上杉謙信所用「袖替り陣羽織」。南蛮船により招来された珍貴な羅紗で仕立てられたもので、袖と身頃の色を変えた斬新なデザインである014Civil Engineering Consultant VOL.279 April 2018