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2海に開いた斜面にある集落産業の変遷と変わらない風景住民手作りの石垣集落の風景の大きな特徴は石垣で、これは台風や冬の季節風である「しまき」を防ぐものであり、各家屋の全周に築かれている。この石垣は、いつ、どのように築かれたのであろうか。なかどまりそもそも外泊の集落は、東隣に位置する中泊集落の人口増加に伴う、分家移住政策により構築されたものである。分家自体は幕末の構想で、50戸ほどの家族が選定されたのち、各戸で石垣の構築に取り掛かり、全戸が入居したのは明治12(1879)年頃であった。石材は隣接する山地から豊富に産出し、材料調達に困ることはなかったようである。専門的な石工が当時この地域に存在しなかったため乱積みの石垣であるが、これまで外泊では大きな地震に見舞われていないことも幸いし、現在まで残存している。最も高い石垣は、当時17歳であった七蔵が積んだ「七蔵垣」で、高さ7mほどである。明治~昭和中期まで、外泊集落の産業は、漁業と斜面に築いた段々畑での芋の栽培といった第1次産業が中心であった。昭和30(1955)年頃からは観光振興に伴い産業構造が変化し、第3次産業の割合が増加するにつれて、段々畑の必要性の低下や維持管理の人手が不足したことで、現在ではそのほとんどが山林化している。しかし段々畑の痕跡は集落周辺の斜面に残っており、いかに厳しい土地条件の中で生活を営んでいたかがわかる。昭和50(1975)年頃には伝統的建造物群保存調査が行われたが、地域住民の意向もあって、現在も保存地区には指定されてはいない。建築技術の進歩に伴い2階建ての家屋が増え、石垣はコンクリートブロックで一部代替し、通路には安全対策のために柵が設置された。しかしそのような変化は、風景の大半を占める圧倒的な石積みの前では些細なことに見<取材協力>1)石垣の里だんだん館える。外泊の風景からは、今もなお過酷な自然・土地条件の2)愛媛県愛南町役場商工観光課中で生きていこうとした先人の労力や思いを感じることができる。<参考文献>1)『愛媛県西海町外泊石垣集落伝統的建造物群保存調査報告書』1975、西海町教育委員会2)『外泊の石垣集落:集落景観の保全と再生(観光資源調査報告:vol.6)』1978.3観光資源保護財団編<写真提供>1:愛媛県愛南町役場商工観光課2:筆者Civil Engineering Consultant VOL.279 April 2018033