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堤体下から見た佐久間ダム第74回戦後の土木技術の原点「佐久間ダム」静岡県浜松市/愛知県豊根村日本工営株式会社/コーポレート本部/コーポレートコミュニケーション室-熊井彩乃/KUMAI Ayano(会誌編集専門委員)■あばれ天竜と呼ばれた川静岡県浜松駅。そこから遠州灘にそそぐ天竜川を横目に見ながら車で約1時間半、距離にすると約70km北に進むと佐久間ダムに到着する。堤体高155.5m、堤体長293.5m、貯水容量3億2,600万m 3となる日本屈指の大規模な重力式コンクリートダムである。天竜川水系には多くのダムが存在し、ふなぎらあきはここに到着するまで、船明ダムと秋葉ダムの2つのダムを通過する。佐久間ダムがある天竜川は、諏訪湖に源を発する1級河川である。流域面積は全国12位となる5,090km 2、幹川延長は全国9位となる213kmの急流河川であり、流域は狭窄部と盆地が連続する地形となっている。また、周囲の山々から流れ込む支流が急勾配であることから、雨量の多い時は、山間部の支川から大量の水と土砂が一気に本川に流れ込むことで氾濫が起き、甚大な被害が発生していた。そのため、天竜川は「あばれ天竜」と呼ばれていた。それゆえ、天竜川でのダム建設は困難を極め、当初完成まで10年かかるとされていた。しかし、ダムの建設は3年で成し遂げられることとなった。なぜ、短期間で完成することができたのだろうか。■電源開発促進法1951(昭和26)年5月、日本の発電と送電設備を一元統制していた1939(昭和14)年設立の日本発送電株式会社が、連合国軍総司令部(GHQ)の命令により解体。電力再編成が行われ、九電力体制(北海道、東北、東京、中部、北陸、関西、中国、四国、九州)に移行したものの、戦後の日本は、深刻な停電に悩まされるなど復興に不可欠な電力が不足していた。また、当時は現在とは異なる水主火従の時代であり、日本の電力の7~8割を水力発電が担っていた。発電に使用することができる国産資源は石炭と水力しかなかったために、潤沢な水力資源を用いて電力を確保するべ042Civil Engineering Consultant VOL.279 April 2018