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写真3コンクリート打設写真4当時ケーブルクレーンが置かれていた現佐久間電力館を手掛けていた。その現場を視察した高碕は、ドリルジャンボやダンプトラック、パワーショベルなどの大型の重機を駆使すれば、短期間での佐久間ダム建設も不可能ではないとの確信を得たとされている。これらの重機をアトキンソン社から購入し、さらに同社から45名の技術者を日本に招聘し、直接指導してもらう手筈も整えた。■ダム建設と大型重機1953(昭和28)年4月に佐久間ダム建設が着工され、まずダム建図2佐久間ダム正面図(現地の案内板より)設の生命線ともされるバイパス工事に取り掛かった。右岸側に延長787mと850m、内径10mで完了している。着工からわずか1年2カ月で天竜川は流れの2本のトンネルを並行して設置することになった。着工時を変えた。に重機はまだ現場に到着していなかったため、人力で掘削その後、岩盤を露出させる基礎掘削が行われ、1955(昭が開始された。待望の重機が到着したのは同年10月であ和30)年1月にダム堤体のコンクリート打設に取りかかった。った。山の両斜面にケーブルクレーンを設置してワイヤーロープをドリルが複数搭載されたドリルジャンボで、トンネル掘削渡し、バッチャープラントで練られたコンクリートをバケット面に火薬を詰める6mの穴を60カ所あける。発破後、ブルドで運び、コンクリート打設を行った。当初の打設量は1日あーザー、パワーショベル、ダンプトラックなどでトンネル内かたり200~300m 3であったが、次第に作業効率が上がり、ら岩を運び出す。当初こそ扱いに手間取ったものの、作業員1956(昭和31)年1月7日には5,180m 3となり、コンクリートたちが操作に慣れるに従い重機の効果が発揮され、目標で打設の世界記録を打ち立てた。あった1日あたり10mの掘削を成し遂げている。掘削後、ト1955年12月には堤体高90mに達したダムに1次湛水(水ンネル内面のコンクリート巻き立てが行われ、2本のバイパ深37m)が行われた。3次湛水が翌年3月に行われると発電スが完成した。所への通水が可能になり、試験や検査を経て4月には佐久川の流れをバイパスに切り替える本流締切工事や、ダム間発電所が営業運転。一日でも早く送電しなければならな堤体工事でも重機は活躍した。1954(昭和29)年3月に実かったため、ダムの完成を待たずして発電が開始されたの施された本流締切工事は、最長で2週間かかると予想されである。たが、ダンプトラックとブルドーザーの活躍により約1時間洪水吐用ローラーゲートや放流された水の勢いを失わせ044Civil Engineering Consultant VOL.279 April 2018