ブックタイトルConsultant284

ページ
11/58

このページは Consultant284 の電子ブックに掲載されている11ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

Consultant284

ブックを読む

Flash版でブックを開く

このブックはこの環境からは閲覧できません。

概要

Consultant284

Civil Engineering Consultant VOL.284 July 2019 009玉の原型だと考えられるのだ。丸いお供え餅というのは、霊魂の象徴ともされる。トシドンがそれをくれるというのは、つまりは新たな霊魂をもらって、新たな年を迎えるということなのだ。ちょっと怖いというのも特徴だが、遠くからやってきて新たな魂を与えてくれる、そんな祭りが正月近辺にはおこなわれるのである。ただし沖縄だけは気候が違うため、年中行事のサイクルがやや異なっている。夏から秋にかけて、こうした新たな年を迎える祭りがおこなわれており、そこに沖縄ならではの来訪神が登場しているのだ。祟りをなす神さまの祭り最後に挙げるのが、祟りをなす神さまの祭り。いままでの祭りとは、ちょっと違う。祭りをすることで、祟りを免れようというものである。ルーツは京都の祇園祭。政争の激しかった平安時代、無実を訴えながらも非業の最期を遂げた貴族たちが怨霊となって、京都にさまざまな災いをもたらすと考えられていた。この怨霊たちを「御ごりょう霊」と呼び、それを鎮めるために始められたのが、祇園祭なのである。また祇園祭がおこなわれるのは、夏。疫病が流行したり、天変地異が起こりやすい時期であり、そうした災いの原因も御霊にあるとされた。なにも怨霊だけではない。さまざまな疫病神たちが跳ちょうりょうばっこ梁跋扈しており、それを追い出すために疫病神の総元締めのような存在である牛ご頭ず天てん王のうを祀った。牛頭天王というのは、もともとインドで仏教の聖地である祇園精舎を守る神さまであったが、日本にやってきてなぜか厄病神の親玉のようになってしまった。祇園の守護神だったので祇園社の名で京都に祀られ、御霊の祭りだから「祇園御ご 霊りょう会え 」、これが祇園祭の始まりとなる。この御霊を追い払うためには、共通した祭りの方法がある。思いきり賑やかに、派手に騒がしく楽しく祭りをやったほうがよいのである。祇園祭があれだけ華やかにおこなわれるのはそのためであり、そこから派生した全国各地の夏祭りもまた、同様に賑やかだ。これもユネスコの無形文化遺産となった「山・鉾・屋台」の行事も、祇園祭から全国に広まっている。夏祭りとは異なるが、盆踊りもまた同様の効果が期待されている。盆踊りは祖先の霊を供養するためでもあるが、同時に供養されない悪霊の類を追い出すための芸能でもあるのだ。だからこそ楽しく賑やかに踊って、最後は村境から悪霊に出ていってもらうというわけである。いかにして災いから逃れるか、という願いは、千年前も現在も基本的には変わっていない。祭りは日本文化の形神さまから日本の祭りを分類してみると、おおよそこのように分けることができる。しかしもちろん、祭りはこれだけではない。長い歴史の中で地域ごとにさまざまな祭りが生み出され、変化を遂げてきた。それは日本文化の形そのものと言っていいだろう。今秋には大だい嘗じょう祭さいがおこなわれる。これは天皇が代替わりした際にのみおこなわれる新嘗祭を拡大した祭りであり、日本で最も古い祭りということもできる。その中でさまざまな儀礼がおこなわれるが、基本はこの稿でも最初のほうで述べた稲作の祭りなのである。またその中でおこなわれる芸能や宴会も、形を変えながら全国各地に広まったといえる。この機会に、祭りから日本文化をみつめなおしてみるのもいいかもしれない。<写真提供>写真1 今石みぎわ写真5  祇園祭から広まった山車の夏祭り「西宿諏訪神社例祭」(東京都東村山市)写真6  盆踊りもまた悪霊を追い出す祭り「松山踊り」(岡山県備中高梁市)