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Civil Engineering Consultant VOL.284 July 2019 015戯も洋式、小学校ではより積極的に「正しい」西洋12 平均律(ドレミ)の習得が望まれる。このような洋音生活は、いつの頃からか。日本の音環境は明治維新を挟んで一変する。欧米列強国との対等関係を目指す中で、明治5(1872)年に学制が発布。唱歌(歌)・奏楽(楽器)の授業開始も急がれた。明治12(1879)年、音楽研究・教師養成機関として文部省に音楽取とりしらべがかり調掛が設立。儒教の礼楽思想の影響もあろうか、その目標は「国楽の創成」であり、それは和洋折衷を以て目指された。ところが、互いに深い文化基盤を持つ両者の折衷は土台無理な話であり早々に頓挫。以後、旋律は西洋、歌詞は日本語という形式が一般となった。いわゆる文部省唱歌の多くがこれに当たり、郷愁を誘う『蛍の光』の原曲はスコットランド民謡であるし、『ふるさと』も残念ながら伝統的な日本の旋律ではない。冒頭の『村祭』も、歌詞は良いが洋式のメロディーである。因みに、わらべ歌や労働歌、祭囃子、卑俗とみなされた三味線音楽などは、無視、除外、もしくは歌詞の改変の憂き目に遭う。「和」にも相当なバイアスが掛かっていたのである。以来、百数十年、文明の開化に引きずられ自ら日本文化を手放した結果、日本人の音感はドレミに矯正され続け、ランドセルを背負った小学生がリコーダーを吹いて歩く姿が「日本の音風景」となった。笑えない喜劇だ。もはやドレミは日本文化と対応される西洋文化ではなく、日本文化をも説明できる万能の科学と誤認された感がある。明治以来の西洋音楽一辺倒の音楽教育の中で、平成14(2002)年には、中学校での和楽器の指導が必修となった。ところが、近年、クラウドファンディングを用いて人工繊維の「篠笛風洋楽調横笛(ドレミの笛)」を作り、全国の学校に無償配布しようとする許容しがたい動きがある。ドレミの笛の、祭と学校への進入だけは防がなければならない。古代のアジア音楽の摂取明治期の洋楽の摂取と相似的に捉えられることがあるのが、飛鳥・奈良時代のアジア音楽の摂取である。東大寺大仏開眼会には、日本の芸能だけでなく、伎ぎ 楽がくや散さん楽がく、唐とう楽がく、高こ 麗ま 楽がく、林りん邑ゆう楽がく、度と羅ら楽がくなどアジア各地の芸能が披露された。この時に使われた装束や楽器は正倉院に残されている。渡来した芸能の楽器や音曲は、後に、日本人(主として皇族や貴族階級)の好みに合わせて整理統合され、平安時代には催さい馬ば楽らや朗ろう詠えいといった歌曲も生まれた。このような外来楽舞や新しい歌曲に、古来の日本を源流とする御み 神かぐ楽ら や東あずまあそび遊などの芸能を含めた、祭祀、饗宴のための芸能の総称が雅楽である。先進国の制度を、憧れを以て摂り入れるという点において、確かに西洋音楽摂取期とアジア音楽摂取期に類似点が見出せる。しかしながら、芸能の享受層の違いに注意が必要であろう。古代の外来音楽の享受層は、皇族や貴族、官制社寺に属する伶人などに限られるが、近代の外来音楽の享受層は、日本に生まれたすべての子供たちであった。江戸初期に八やつ橋はし検けん校ぎょうが創始した箏曲の源流を辿れば雅楽の楽がく箏そうであるし、各地の祭に出る獅子舞の源流は伎楽の一演目であることなど、雅楽の民間への影響はなかったとは言えない。ただ、庶民の感覚とは大きな隔たりがあった。例えば、雅楽を雅楽たらしめているといっても過言ではない楽器に篳ひち篥りきと笙しょうがある。前者は図3 雅楽の楽器『神職寳鑑』(筆者蔵)