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Consultant284

016 Civil Engineering Consultant VOL.284 July 2019ビーという大音量の旋律楽器で、後者は喩えるならパイプオルガンのような複数音で幻想的な空間を作り出す。これらの異国情緒溢れるアジアの音は、ついぞ、一般の民俗芸能で用いられることはなかった。現在、全国各地の神事で雅楽の音が聴かれるのは、明治期に全国統一の神社祭式が整えられた後の、いわゆる国家神道の影響である。当初、違和感を持たれたであろう西洋音楽も、西洋式軍楽の採用や洋楽調の音楽授業を通して耐性が付き、ついには日本人の嗜好に変化が訪れ、洋楽を積極的に好むようにもなる。パン食が当たり前になった経緯と似ているかもしれない。祭の中は日本音楽大河ドラマや時代劇の音楽までもが洋楽であることに誰もが疑問を抱かない現在、日本の音はいずこに。雅楽・能楽・人形浄瑠璃(文楽)・歌舞伎といった古典芸能は、今以て命脈を保っており、舞台などに足を運べば束の間の日本文化を楽しむことができる。しかしながら、より日本文化の基層にあった、わらべ歌や、田植歌などの労働歌は壊滅状態であるし、現行の流行歌はすべて洋楽理論の作曲で、さらには、洋式の楽曲であっても日本人が作曲したものならば「邦楽」という、歪曲も甚だしい分類法が定着している。とは言え、悲観ばかりもしていられない。我々には祭がある。祭の音は、明治維新という大きな壁を貫通し深い溝に橋を渡す、明治以前と以後とを繋ぐ「文化のタイムトンネル」なのである。神事と神賑行事祭の音を理解するためには、祭そのものの理解が必須である。「祭」を漠然と年に一度のハレの舞台と捉えるのではなく、「神事」と「神かみにぎわい賑行事」という二つの局面に分けて捉えると「祭」の本質が見えてくる。ヒトの心が、カミに向く場面が「神事」、ヒト同士や見物人に向く場面が「神賑行事」である。概して「神事」は厳粛な雰囲気で保守的、「神賑行事」は華やかで革新的と言える。ただし、その雰囲気だけでは判断を見誤ることもある。例えば、厳粛な神しん幸こう祭さい(カミの道行)もあれば賑やかな神幸祭もあるが、両者とも「神事」である。あくまでもヒトの心の方向性で区別したい。祭の社会的役割共同体の祭とは、神社を核として、氏地の環境、氏子の精神状態を日常(ケ)とは異なる次元(ハレ)に移行させることによって、共同体の活力を更新するための「民俗知」である。ハレには華やかなイメージがあるが、極端な秩序(神事)と極端な混沌(神賑行事)の両方に適用し得る概念であり、非日常と言い換えても良い。祭のような社会装置は日本の専売特許ではなく、人類が社会性を持った時点で獲得された叡智であろう。そうであるならば、祭をMATSURIとして世界の人々と図4 神事と神賑行事図5  ハレ(祭=神事+神賑行事)を通して更新される共同体の活力(ケ)<薗田稔『祭の現象学』の掲載図を基に筆者が作図>図6 ヒトの心の方向性を基準とした祭芸能の分類(試案)