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018 Civil Engineering Consultant VOL.284 July 2019建物を建設する時、土木工事をする時、必ず地鎮祭が行われます。地祭とも言います。宮殿、神社、寺院、学校、役所、工場、個人住宅など多種多様な建物があります。様々な土木工事もあります。大概、地鎮祭は神式で行うことが多いので、それを前提に説明します。地鎮祭では、建造物等を建てるにあたり、その土地の守護神にその由よしを奉告して許しを得るとともに、土地や建物の堅固長久を祈り、合わせて工事の安全を祈ります。地鎮祭の歴史初代天皇である神武天皇が橿かし原はらに宮都を設けた時、宮殿の立つ大おおみやどころ宮地には「坐いかすりのかみ摩神」が祭られていることが、『古語拾遺』( 807年)に出ています。「坐摩」の説明に「是、大宮地の霊なり。今坐摩の巫みかんなぎの斎いわひ奉まつれるなり」とあります。坐摩の巫とは、神々に奉仕する童女のことです。坐摩とは、生いくいのかみ井神、福さくいのかみ井神、綱つながいのかみ長井神(以上、井戸の神)、波は比ひ祇きの神かみ(境界の神)、阿あ須す波はの神かみ(地盤の神)のことで、五神あわせて敷地の神であります。おそらく宮殿の起工にあたっては、坐摩神を祭って地鎮祭が行われたと想像できます。因みに大阪市中央区に坐摩神社という古社がありますが、宮中に起源をもつ坐摩五神を祭っています。持統天皇5(691)年10月に「使者を遣して、新あらましのみやこ益京を鎮祭らしむ」(『日本書紀』)とあります。藤原京の建設のための地鎮祭を実施した記録であります。詳しい内容は記されていませんが、地鎮祭が行われたことは確認できます。伊勢神宮では、この前年から式年遷宮が開始されます。二つの敷地を設け、20 年に一度、社殿を造ぞう替たいして、神々に遷っていただく祭りです。唯ゆい一いつ神しん明めい造づくりという掘立柱・高床式・茅かや葺ぶきで屋根に千ち木ぎ・鰹かつお木ぎ を載せる素朴な建造物です。その建設に当り「宮地を鎮め祭ること」が行われ、鎮地祭と呼ばれました。その時の記録に「鐵てつ人ひと像がた・鏡・鉾各40 枚、長ちょう刀とう子す20 枚、?? 4 柄、鎌2張、小しょう刀とう子す1枚、鍬2口、五いついろのうすぎぬ色薄?各1丈、木ゆ綿う・麻各2 斤」(『延喜式』)とあり、当時の鎮地祭に使われた鎮しずめ物ものや祭具がどんなものであったか、分かります。鎮物とは土地の神への奉献物のことで、穴を掘って埋納されます。伊勢神宮では、建物が完成した後にも、社殿が永く久しくあるよう宮地の神々に祈る後鎮祭が行われます。祭式は、鎮地祭とほぼ同じです。こうした例から、地鎮祭が早くから行われていて、宮殿や神宮の建設にあたり、宮地の神々を祭ったことが分かります。また個人の住宅などでも何らかの儀礼が行われたのではないかと想像されます。伊勢神宮の鎮地祭古代から行われてきた伊勢神宮の鎮地祭には、現代の地鎮祭にはない古風が伝えられています。神宮では、社殿が建ってない宮地を古殿地と言いますが、中央に旧心しん御のみ柱はしらの覆おお舎いやが建っています。ここを中央とし黄幣へい、東北隅に青幣、東南隅に赤幣、南西隅に白幣、西北隅に黒幣の五色幣を刺立て、中央に?しもと案あん二脚を設けます。鎮地祭に奉仕するのは童女とこれを介助する神職です。神宮には現在童女の神役はいませんが、式年遷宮の諸祭は伝統を守って、神職の子女がこれを務めてい4 地鎮祭の歴史とその意義茂木 貞純MOTEGI Sadasumi特 集祭り ?非日常と祈りの文化?國學院大學/ 神道文化学部教授土木や建築の工事着手前には地鎮祭を行うが、その儀式ひとつひとつの意味について考えたことがあるだろうか。地鎮祭のはじまりは日本人が自然のあらゆる物に神が宿ると信じてきたことによる。地鎮祭の歴史をひも解き、その意義について解説する。