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022 Civil Engineering Consultant VOL.284 July 2019リピーターの多い長岡まつり長岡市は2005年4月1日から市町村合併が進み、現在は11の旧市町村により構成され、日本海から中山間地域までを含んだ人口約27万人の中核都市です。合併により地域だけでなく観光資源も比例して増加し、季節に応じた「地域固有」の特色あるお祭りが多数存在し、地域の宝として愛されています。その中でも、8月1日から3日間にわたって開催される「長岡まつり」は、昨今では長岡市の人口の3倍以上、100万人を超える観光客が訪れる新潟県最大のイベントです。来場者へのWEBアンケートによると、リピーターが突出していますし、私たち自身を鑑みても、花火大会を待ち遠しく思い、毎年参加したくなる一大イベントであると感じています。なぜそう思えるのか。長岡市民にとって「長岡まつり」は華々しいだけでなく、特別な想いを持つものであり、またその「想い」に共感する「長岡ファン」が増えてきているからこそ、待ち遠しく、そしてリピーターが多いイベントだと考えています。長岡まつりの起源と込められた想い毎年、華やかに開催され100万人以上が訪れる長岡まつり。その起源を紹介させていただきます。今から70 年以上前の1945 年8月1日、午後10 時30分。当時は第二次世界大戦の真っ只中でした。突然、空襲警報が鳴り響き、B-29大型爆撃機が長岡市に来襲。1時間40 分にわたって市街地を爆撃し続けました。 町中は焦土と化し、1,488 名の尊い命が失われました。空襲から逃げ惑う市民。炎から逃げるために川に飛び込む市民。しかしながら、川面も爆撃の油で延焼しはじめ、当時の長岡市民は言い尽くしがたい悲しみと憤りに5 長岡市のまつりと災害からの復興山岸 孝広YAMAGISHI Takahiro特 集祭り ?非日常と祈りの文化?長岡市/ 福祉保健部福祉総務課/企画係長前観光・交流部観光事業課毎年100万人が訪れる長岡まつりは、長岡空襲で亡くなられた人々の慰霊、復興に尽力した先人や支援者への感謝、恒久平和への祈りを込めて開催されている祭りである。祭りは被災地へどんな影響を与えるのだろうか。長岡まつりの起源、独自の取り組み、込められた想いについて紹介する。写真1  長岡まつり大花火大会で打ち上がる復興祈願花火「フェニックス」(2018 年)写真2 国内外から多くの人が集まる大花火大会の会場