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Civil Engineering Consultant VOL.284 July 2019 025題も浮き彫りになってきました。この問題を解決するために、長岡まつり協議会長であった当時の森民夫長岡市長は、行政が事務局を担うのではなく、年間を通じて「長岡花火」に特化して活動を行う民間ベースの「一般財団法人長岡花火財団」の設立を決定しました。大きな骨子や法人の理念については、民間団体や企業の代表らに検討を委嘱し、2017年4月に長岡市が設立者となり、長岡花火財団が誕生しました。この財団では「長岡の誇りを次世代に」をキャッチフレーズに、長岡花火(ふる里)への愛着を醸成するために、職員自らが市内の小中学校に出向き、長岡まつりの原点を伝えるとともに、花火筒・花火玉のレプリカを持参して、そのスケール感を肌で感じてもらう活動等を実施しています。この他にも、発信力が高い長岡花火をブランドリーダーとして、地域商品とコラボレーションしながら積極的に売り出したり、民間企業とタイアップすることで活動資金を集め、これを花火プロモーション事業に充てるという循環的事業展開を実施しています。これからの未来へここ10 数年の間、日本では災害が多発しています。冒頭にも記載しましたが、長岡市では長岡空襲後の悲壮感が漂う中で、市民自らが気持ちを奮い立たせ、自発的に戦災復興祭を開催しました。過去には幕末の動乱期にも、新政府軍と戦った北越戊辰戦争により長岡城内は焦土と化しましたが、一度落とされた長岡城を奪還。歓喜した市民(領民)は、長岡甚句を踊ったという逸話もあります。これらの歴史からも推察できるように、避けることのできない災害で疲弊し、閉塞感が漂う状況を打開するために「祭り」は開催され、市民の心を支えてきました。祭りの実施は市民自らの発意であり、地域住民の理解と協力が必要です。被災直後の実施には強力なリーダーシップや大義が必要です。また開催に至るまでには、多大な労力や協議が必要ですが、過去にはこれらを乗り越え、祭りを開催してきました。私たち長岡市民は、これら先人の苦労や功績、時代背景を学びながら、今後も数々のイベントを実施していくことと思います。そして華々しく、市内外から人々が訪れ、皆が楽しむお祭りですが、私たちはその根底にある「意義」を忘れずに、心の奥底に育み、そして次世代へとバトンが渡っていくことを確信しています。現在、長岡市は2020 年の完成を目指して道の駅「ながおか花火館(仮称)」を建設しています。この建物には、華々しい長岡花火の様子だけでなく、過去の歴史も展示される予定です。たくさんの市内の子どもたちが施設を訪れ、長岡花火の起源を学び、そしてふる里愛を育んでいくでしょう。同時に長岡花火財団は、花火大会を運営しながら、年間を通じて長岡花火をプロモーションしていきます。長岡花火は国内にとどまらず、日米友好の架け橋ともなりました。戦後70 年の節目の2015 年8月15~16日(日本時間)には、姉妹都市の米国ハワイ州ホノルル市の真珠湾で長岡花火を打ち上げました。両国の戦争で亡くなられた方々の慰霊と世界平和、青少年の健やかな成長、両国・両市の発展の願いを込めて。平和を願う長岡花火で、70 年の時を超え皆が一つになったのです。近い将来、今の世代だけでなくこれからの世代が、胸を張って「長岡花火はふる里の宝」と言える時が必ず訪れます。それは、長岡花火が長岡市のブランドリーダーとして確立されることであり、このような土壌が整うことでイベントに誇りが生まれるのです。多くの災害から長岡市は立ち上がってきました。その手段の一つとして市民発意の「祭り」があり、長岡市行政も寄り添いながら開催し、祭りを深め、高め、そして「心のよりどころ」としてきました。たとえ今後、未曽有の災害があっても、そして他の地域に同じようなことがあっても、長岡市は祭りを開催する「意義」を持ち続けながら、自分たちだけでなく、国内外に発信していくことと確信しています。<参考資料>1 )『長岡大花火 祈り』長岡まつり協議会 2006年2)「復興祈願花火フェニックス記念誌『十年のキセキ』」長岡まつり協議会フェニックス部会 2014年写真7 小中学生に長岡花火の起源を伝える活動