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Civil Engineering Consultant VOL.284 July 2019 027があり、騎馬武者が500 騎登場し戦国絵巻を思わせる。相馬野馬追執行委員会は6月17日に記者会見を行った。そこで発表されたのは、メイン会場である雲ひばり雀ヶが 原はら祭場が緊急避難所となっているため、ハイライトの「甲かっちゅう冑競馬」、「神旗争奪戦」は行わないが、「総大将出陣」をはじめ、そのほかの行事は「復興のシンボル」として、3日間にわたり全て行うという内容だった。一方、陸前高田市では5月に有志の会のHPに「夏の開催に向けて必死に努力をしています」という声明が載った。しかし13台あった山車は、2台を除き流失してしまっていた。「大石地区の山車が泥の中に埋もれているのが見つかった」とのニュースが掲示されると、延べ2千人にもなった全国のボランティアたちが動き、泥に埋まった公民館が洗われ、中から山車が蘇った。『相馬野馬追』この年、『相馬野馬追』は7月23日から3日間行われた。人も馬も津波で流されてしまい、騎馬武者は80 騎の出場だった。初日、私は太田神社の神事を撮影していた。そこに一人の祭り衣装の女性が現れそっと手を合わせた。その清楚な美しい姿に心を打たれ、後日彼女に当時のことを聞いてみた。「家では代々馬を飼い、『相馬野馬追』に参加している。なんでこんなことになってしまったのだろうか。来年は大きく開催されますように」と祈ったそうだ。翌年も『相馬野馬追』を訪れた。そこに広がった光景は280 騎の騎馬武者が甲冑姿で雲雀ヶ原祭場を勇壮に駆け抜ける姿であった。困難を乗り越え、震災前と同じように復活した姿に、4万2千人の観客から大歓声がこだました。相馬の人々の誇りと意地が伝統の祭りをつないだのだ。『うごく七夕』祭り前日の8月6日に大石地区公民館を訪ねると、青空の下に色とりどりの紙できらびやかに飾られた七夕山車が置かれていた。寄付により新しい太鼓が届き、有志の会の会長が思いを込めてドーンと一発叩いた。大石地区では住民600 名のうち150 名が亡くなり、250名が避難をしている。とても町の人だけでは山車を曳くことはできない。そこに全国からボランティアたちがやってきて飯の炊き出しを行い、地区の人たちと一緒に山車を曳く。元は目抜き通りであったJR陸前高田駅へ続く道は、全くその面影がない。『うごく七夕』は、七夕飾りで飾られた山車を曳き、太鼓を叩き、お盆に帰ってくるご先祖様の霊に帰る場所を伝えるものだ。この日、太鼓を叩いた青年は「ご先祖様、私たちの土地はこんなになってしまいました。でもここが故郷です。帰ってきてください」と、涙ながらに犠牲者を追悼した。翌年、再び現地を訪れた際には、ボランティアを中心とした運営組織ができて、山車も8台となっていた。ボランティアたちによる出店が町の中心に立ち、小学校の校庭にはステージが作られ、夜はコンサート会場として賑わった。ボランティアたちが中心となって曳いた山車が中央広場に集まると、一斉にバルーンが空に放たれた。伝統の祭りはボランティアたちの手により一大イベントとなった。2018年にもこの祭りを訪れた。町の中心には大規模ショッピングセンターができ、その周りを10台に増えた山車が賑やかに太鼓を叩きながら巡った。子供たち、地元の人々、ボランティアたちが一体となった。コンサート会場はなくなり、従来の『うごく七夕』の姿になり、伝統が戻ったことに私はほっとした。写真3 陸前高田市の『うごく七夕』。津波に流された駅前通りを山車がゆく(2011年)