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038 Civil Engineering Consultant VOL.284 July 2019その先駆けとなったのが矢原堰の開削である。矢原堰は梓川と奈良井川の合流部である犀川から取水し、等高線に沿って水を流す「横よこ堰せぎ」である。水は高いところから低いところへ流れ、河川や縦堰は西高東低の安曇野の地形に従う。犀川から約10km西の矢原村へ水を引くためには、等高線沿いのわずかな標高差を利用して用水路を開削するしかなかった。失敗を繰り返しながらも精密な測量を成功させ、1654(承応3)年に矢原堰は完成した。しかし、通水は安定して確保されたわけではなく、水は流末までしばしば届かなかった。1685(貞享2)年に完成した同じ横堰の勘左衛門堰も同様だった。1782(天明2)年から天明の大飢饉が起こり、不作は続き、年貢米の未納が多くなっていた。松本藩は窮状打開のため、藩財政を立て直す改革として扇央部の水田化計画を打ち出した。各村の村役人は既存の用水路を改修したが思うように成果はあがらなかった。こうした状況の中で、扇央部の水の乏しい村々の水田造成への願いは強く、それらの村々が団結して新しい用水路の開削へ動き出したのである。■ 横堰の集大成「拾ケ堰」新しい用水路の開削に当たり、焦点となったのは水源をどこに求めるかということだった。扇央部の村々の役人は用水獲得に奔走した。烏川からの取水は既に限界に達しており、水利権を確保するためには烏川水系以外から用水路を開削する必要があった。梓川から開削する方法、黒沢の残水を導く方法などいくつかの案を考え、計画案を松本藩に提出し、許可申請を行った。しかし、水量が安定しない梓川水系は既に取水している多くの村々の反対から実現せず、黒沢から用水路を開削したものの、残水が乏しく失敗に終わった。そこで、奈良井川を水源とすることを考えたのである。当時、奈良井川は勘左衛門堰が取水しているのみで、水量も豊富で水温も高く農業用水に最適であった。計画が具体化したのは1812(文化9)年のことだった。藩へ計画を出願するに当たり、村役人たちによる具体策の打合せが始まる。新しい用水路の開削という点では、藩と村役人の双方が積極的であったが、奈良井川からの取水という技術面での実現性においては真っ向から対立していた。扇央部の広大な土地に水を引くためには、先に完成した横堰よりもさらに高い等高線沿いに用水路を開削する必要があった。砂礫が大きくなる扇央部を通水するとなると漏水が激しくなることも懸念された。加えて、奈良井川から取水する場合、大河川の梓川を横断しなければならないという難題があった。これは下流側に土手を作り、梓川との交差部には竹で編んだ籠に石を入れた蛇籠を竹枠と組み合わせた「牛枠」を使うことで可能とした。砂礫が粗く、水が浸透してしまうところには松の木で作ったほうきで水を掃き、水路底を泥にして漏れるのを防ぐこととした。先の横堰開削で培った精密な測量技術を駆使し、1815(文化12)年、用水路計画図を藩に提出した。10の村々を潤す拾ケ堰利水計画はここに成就し、開削工事が許可されたのである。しかし、この計画はすべての住民に受け入れられた訳ではなく、自分の田畑を失うことを恐れた住民から反対の動きもあった。こうした中で、事業遂行にあたり藩は徹底的に援助した。この計画によって大幅な生産力増加を見込み、未納米の解消が可能と判断したためである。そして、1816(文化13)年2月の工事着手からわずか5カ月で、横堰の集大成として拾ケ堰は完成したのである。奈良井川の豊富で温かい水は、全長15km、等高線570mに沿って10の村々を潤し、不毛の扇状地は米どころへと変身した。■ 時代に合わせた改修拾ケ堰は完成後も補修工事に多くの時間を費やした。その中でも大きく変化したのは、梓川横断部のサイフォン化と用水路に排水機能を持たせたことである。当時堤防のなかった梓川は大雨が降ると川幅が3kmにも広がり、田畑や拾ケ堰を押し流した。そこで拾ケ堰水利組合は1919(大正8)年、コンクリート製の管を梓川河床に埋めて通水するサイフォン工事を計画した。翌年に工事は完了し、1998(平成10)年に改修が行われ、現在も使用されている。サイフォン化で梓川の増水に影響することなく奈良井川の水を取水することが可能となったのである。その後も用水路の両岸を練石積みとコンクリートブロック積み、河床はコンクリート張りにする工事や、奈良井川頭首工のコン梓 川土手奈良井川の水土手奈良井川牛枠ミオ筋図4 梓川横断部図5 牛枠棟(むな)木けた木じゃかご