日本の土木の歴史は、生活の拠点である「ムラ」が出現する縄文時代から始まる。
盛土や切土をして平坦地を作り出し、地面を掘削して竪穴式住居を作った。
稲作が始まる弥生時代になると、耕地に水を引くため、堰や水路も作った。
そこには必ず、土木があった。
土木は人々の生活と共にあり、いつの時代も途切れることなく日本社会を支えてきた。
続いているはずの土木の歴史が、資料が少なくあまり語られてこなかった期間がある。
1894(明治27)年の日清戦争に始まり、
第二次世界大戦が終わる1945(昭和20)年までの戦時下50年間である。
日本では、1945年8月15日正午の玉音放送終了と共に公文書焼却の実行が図られた。
戦争犯罪の証拠になるような資料は全部焼かせてしまおうということだった。
その中には、軍用民用関わらず公文書としての多くの土木資料も含まれていた。
人々は、戦時中の記録を抹消するだけでなく、聞くことも語り伝えることも
はばかってきたのではないだろうか。
それでも、当時軍用として造られた施設は、現在に残っているものもある。
土木事業は戦局に大きく左右され、休止になった事業もあったが、
戦時中でも、数々の土木施設が整備された。
そこに確かに土木は存在したはずだ。
戦後80年という節目の今、戦時中の土木がどうであったか、
その事実をうかがい知ることができる施設を見つめ直す。
表紙:小巻沢林道橋
写真:松田 明浩
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