海外で建設コンサルタントの仕事をするまでの道のり

建設コンサルタントという仕事

海外で建設コンサルタントの仕事をするまでの道のり

藤冨さんは、どうして今の仕事につこうと思ったのですか?

土木の道に入ったのは「たまたま」

高校時代、わたしは、建築家(けんちくか)になりたいと思っていました。安藤忠雄(あんどうただお)さんという世界的に有名な建築家がいらっしゃるんですが、テレビなどで安藤さんのことを知り、カッコいいな、安藤さんみたいな建築家になりたいなと思ったんです。

大学は工学部を受験しました。もちろん建築学科に進むためですが、合格(ごうかく)できたのは土木学科のほう。本当は建築がやりたいわけですから、そのときはとてもなやみました。でも浪人(ろうにん)して、また1年間受験勉強をするのはいやだったので、そのまま土木学科に行くことにしたんです。ですから、土木の道に入ったのは「たまたま」なんですよ(笑)。

大学での土木の基礎的(きそてき)な勉強というのは、正直言ってあまりおもしろくなかったですね。でも自分でテーマを決めて研究をやりはじめると、だんだん熱中するようになりました。そのころのわたしは鉄鋼製(てっこうせい)の橋について研究をしていて、金属(きんぞく)の強度(きょうど)や構造(こうぞう)が専門分野(せんもんぶんや)でした。

大学の勉強以外では海外旅行がとても好きだったので、大学院の夏休みを利用していろいろな国に行きました。ヨーロッパやアメリカ、発展途上国(はってんとじょうこく)などを見て回ったんですが、一番みりょくを感じたのはスペイン。スペインの建築家がつくる橋は本当にカッコいいんですよ。

藤冨さんの会社は、ネパール南部のテライ平原とネパールの首都カトマンズを結ぶ『シンズリ道路』をつくる事業など、たくさんの海外事業にかかわっている。写真提供:日本工営株式会社 藤冨さんの会社は、ネパール南部のテライ平原とネパールの首都カトマンズを結ぶ『シンズリ道路』をつくる事業など、たくさんの海外事業にかかわっている。写真提供:日本工営株式会社

そして世界の国々を見て回っているうちに、海外で働きたいと思うようになりました。自分の専門(せんもん)は土木ですから、海外のインフラ整備(せいび)にかかわりたいという気持ちが芽生えてきたのです。就職(しゅうしょく)するときは「海外事業」と「土木」、このふたつをキーワードにして会社をさがしました。今の会社のことは先ぱいに教えてもらったのですが、建設コンサルタントとして海外のインフラも数多く手がけているということだったので、入社を決めたんです。

会社に入ってから世界が広がる

入社してからの7年間は、おもに日本国内で道路や橋の設計をしていました。自分の設計した橋を人が使ってくれるというのはとても感がい深いですし、社会に貢献(こうけん)しているなと実感できて、とても充実(じゅうじつ)した毎日でした。入社8年目ぐらいから海外に長く滞在(たいざい)することも多くなり、より深く現場(げんば)での仕事にかかわれるようになったのですが、海外で橋をつくるとなると、設計だけで終ることは少なくて、同時にいろんなことを担当(たんとう)するんです。

インドネシアのアチェの津波被害(つなみひがい)の復興(ふっこう)を手伝っていたときもそうです。わたしは最初、道路を直すために行ったんですよ。でもそれだけじゃなくて、孤児院(こじいん)や病院をつくったり、洪水(こうずい)を防(ふせ)ぐための施設(しせつ)を考えたり、多種多様な仕事をたのまれるんですね。

そうすると、自分がやりたいと思う「土木」の中身がパアッと開けてきました。今まで手がけてこなかったものにちょう戦するというのは本当に楽しくて、まったくあきないんです。しかも自分の未熟(みじゅく)さを思い知らされることも多く、技術者(ぎじゅつしゃ)としてもっと勉強したいな、ほかのことももっとやってみたいな、という思いが広がっていくわけです。

そして少しずつ社会貢献(しゃかいこうけん)にかかわる仕事が増(ふ)えてくると、もっともっと多くの人の役に立ちたいと思うようになりました。そういう意味で、とくに興味(きょうみ)をひかれたのが「鉄道」だったんです。鉄道事業では橋や駅もつくるし、完成したら1日に何万人もの人が利用します。社会的な貢献度がとても大きいので、ぜひ鉄道をつくってみたいと思うようになりました。

藤冨さんがひきいるエンジニア(技術者)チームの人たち。鉄道事業ではたくさんの技術者が働いている。 藤冨さんがひきいるエンジニア(技術者)チームの人たち。鉄道事業ではたくさんの技術者が働いている。

それから鉄道をつくる鉄道事業部というところに配属(はいぞく)されて11年になります。でも鉄道というのは本当におくが深くて、わたしはまだまだ初級も初級。多分、定年退職(ていねんたいしょく)するまで極めることができないんじゃないかっていうぐらい。仕事にあきることがないというのが、一番いいことかもしれません。

いろんな仕事にかかわっていくうちに視野(しや)が広がっていくんだね。それにしても、会社に入ってから鉄道のことを勉強したんでしょ? すごいなあ…。
英語はもともと得意だったんですか?

小学生のころから英会話を習っていたし、海外旅行に行っても会話で困(こま)ることはなかったし、自分では得意だと思っていました。でも、その程度(ていど)では、仕事に使えるレベルではありません。だから会社に入ってからは言葉で苦労しましたね。やっぱりなかなか相手に伝わらない。どうやったらうまく伝わるのか、この19年間、勉強してきたという気がします。

英語の上達にもっとも効果(こうか)があったのは、やはり仕事をやりながら覚えていく方法。先ぱいやほかの会社のエンジニアの方がすごく上手だったりすると、その人の言い回しや話し方を注意深く聞いて覚えていきました。

それでは、会社に入ってから鉄道の勉強をして、英語の勉強もした、ということですか?

藤冨さんのご家族。長期滞在(ちょうきたいざい)をするときはいっしょに引っ越(こ)す。 藤冨さんのご家族。長期滞在(ちょうきたいざい)をするときはいっしょに引っ越(こ)す。

そうです。もうずーっと勉強ですね。会社の後はいたちにもよく言うんですけど、やっぱりいくつになっても勉強し続けないといけないと思います。大学では建築学科に行けなかったけれど、社会人になってから勉強して、今では建築士の免許(めんきょ)も持っているんですよ。土木か建築かなやんだ時期もありましたが、結果的には土木のほうが、自分のやりたかったことに近かったのかなと思っています。

社会に出てから、自分が本当にやりたいことがわかってくるかもしれないんだね。 藤冨さんのような仕事につくためには、どうすればいいのか教えてもらったよ!

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